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近況報告

高校時代の思いで、近況報告、苦労話、機械科卒業から変身してこんな商売してます等々・・
どしどしお知らせください。写真があればぜひお送りください。
近況報告募集中!!
近況報告に際し、下記項目をご参考にお送りください。
(1)まず、あなたの卒業年度をお書きください。
(2)あなたは何故西野田工業高校を選んだのですか。
(3)あなたの現役時代の学校の様子を簡単に記してください。
(4)卒業後、どのような道を選ばれましたか。
(5)よろしければ職歴と現在何をなさっているかを書いてください
(6)学校や後輩に対して言いたいことがあれば書いてください。

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写真はこちらから添付でお送りください。

ガンバッテま〜す!! 機械科卒業生訪問記
インターグループ会長 小谷泰造氏(S26年卒)

2010年4月27日 関元忠義(昭和36年卒業)
機友会の会報で、昭和26年卒業の市木哲夫さまが「同窓会の近況」と題し寄稿されましたが、その文中に「我々の出世頭は古里君(フルサト工業創立者)と小谷泰造君であると書かれてありました。文面を拝見し是非ともお会いしたいと思っておりましたら、市木さまのご紹介を得て、小谷様を訪問する事が出来ました。
小谷様は母校を卒業後早稲田大学文学部に入学され、その後はアメリカに留学をされましたが、当時の留学は想像以上に大変であった由です。帰国後はNHKに就職をされましたが、国際的なイベントには同時通訳の仕事が欠かせないとし、独立をされました(33歳の若さ)。日本有数の通訳業としてのインターグループを立上げ、今はご子息に社長業は譲られましたが、現役の会長として毎日出勤をされて居られます。
お目に掛かって驚きました事は、顔の艶の良さ・姿勢の正しさ・はっきりとしたお言葉更に、政治や経済などあらゆる分野へ興味があり見識あるご意見など全ての面で脱帽をした次第です。今は、ロボットに対して大変情熱を持っておられ、特に介護や高齢者向けのロボット開発に焦点を絞って居られるそうです。
座右の銘は?とお聞きしましたところ「恥を知る」心を持て。との事でした。
恥を知ると言う心の持方は時代を超えて大切なことである。小谷様の背中から "武士の風貌"を感じながら、己も恥を掻かぬように努めねばと思いました。
株式会社インターグループ
創  立/1966年9月1日 社 員 数/170名
業務内容/国際会議・学会・イベント企画運営、通訳、翻訳、
     語学スペシャリスト派遣・紹介、通訳者・翻訳者養成等
本  社/大阪市北区豊崎3-20-1 インターグループビル


09.1.8
           「年頭に思う」松室 猛(S30年卒)


昨年は、まさしく激動の年でしたが、この歳になりますと一番痛切に感じますことは歳月の経過の早さです。本当にあっという間に1年が過ぎ去り、この一年間何をしていたのかを顧みますと、これといった印象に残る事をしてこなかったのことに気がつきます。
議員を引退してから大阪府選挙管理委員長を拝命し、4年間の任期で橋下知事が誕生した選挙を最後に退任し、それ以降は2ヶ月に一度開催している二水会定例講演会の開催のための資料つくりが主たる仕事となりました。
時折お逢いする同じ世代の仲間達は、一部の自営業の方を除けば大半の人達は地域におけるボランティア活動か、悠々自適の方が多いですが、私にできることは、世の中の動きに対して私なりの発言を続けることによって僭越ながら少しでも地域の方々の啓蒙ができればと考え奇数月の第二水曜日に「二水会定例講演会」と名づけた会合を開催し続けて来ました。
現役時代から続けてきた会合ですが、引退後は政治的には何の野心もない私ですが、それだけに純粋の勉強会だと自負しておりますが、こんな会合でも参加を楽しみにしてくださる方がおられることが励みとなり、今年の5月には100回目を迎えことになりました。
私自身が興味を感じない問題について話を聞きたいとのリクエストがあれば、2ヶ月間で精一杯勉強をしそれなりの資料を作って講演会を開催するのですが、時には本当にシンドイと感じることもありました。参加者が40名を下れば辞めようと思い続けてきましたが、常に50名を越える参加者があることに励まされ、それを支えに頑張ってきました。講演会の資料は毎回WEBで発信しておりますが、発信の度にアクセス件数が増えることもある種の楽しみでした。
こんな地域からの情報発信作業が評価され、昨年12月に大阪経済法科大学から客員教授に迎えたいとのお話をいただき、自分から売り込んだのではなく第3者から評価を頂いたことを大変嬉しく感じています。
所詮は毎回5〜6冊の資料を読破し、それをまとめただけのレポートでしかありませんが、これが私にできる私らしいボランティア活動だと思ってこれからも精進せねばと考えております。
また、遊びごとですが、昨年1年間は私の人生の中で最も多くゴルフに親しんだ年でもありました。
キャリアーとしては随分長いのですが、今もって下手くそですが、去年やっとハンディが1つだけ上がりました。JGAハンディ15ですが、ホームコースの伏尾ゴルフクラブでは15はBクラスなのです。何とかもう一つハンディを上げてAクラス入りを果たしたいというのが今年の夢です。
この歳になっても元気にゴルフが出来る健康であることに感謝しつつ、夢の実現に向かって今年もそれなりに頑張ろうと思っていいる今日此頃です。
                       平成21年1月7日     松 室  猛  

08.9.3
 西野田機友会会員の皆様へ
      西野田工友会会長就任のお知らせ
               元会長・現顧問 関元 忠義
猛暑と豪雨の今夏もやっと9月に入りますと、朝方は涼しくなり「秋の気配」を感じるように成りました。
機友会会員諸氏に置かれましては、御健勝のことと存じます。
小生は、西野田工業高校・機械科を昭和36年に卒業しました関元忠義です。
実は、8/30日に西野田工友会の役員会が開催され、その席上「新会長」を仰せ付かりましたので、ご報告を申し上げます。母校の100周年記念事業も無事終わり、次の周年行事を迎えるにあたりまして、西野田工友会の松室会長が引退したいとの強い意思が出されました。松室会長としては、母校同窓会の運営は「母体となる機械科卒業生」が相応しいとのお考えで、本年5月まで西野田機友会・会長を務めておりました小生に後を託すとの事で、推挙を受けました。
歴代の会長の方々は素晴らしい経歴をお持ちでしたが、小生は一介のサラリーマンであります。この伝統ある西野田工友会の重責を果たせるかどうか、自信が無いため固辞しましたが、松室会長の強い説得にお受け致しました。受けました以上、何とかお役に立つよう努力を致す所存であります。
つきましては、機友会会員の皆様には是非とも側面的からの応援を、心からお願いを申し上げる次第です。
昨年、大阪職校会は「西野田工友会」と名称が変更され新たなスタートを切りました。本年は更につぎの110周年に向かう節目の年でもあります。また、母校では、今春の卒業式に「最後の工業高校生」が巣立ち、実質として「西野田工科高校」に生まれ変わりました。若手(と言いましても66歳になりますが)にバトンタッチを受けましたが、各科の同窓会組織の応援を得て、歴代の会長さまが育てて頂いた西野田工友会を継承し、盛り上げたいと思います。
そもそも同窓会と言うものは、松室会長が何時もおっしゃっておられますが、
・ 卒業生の親睦団体に徹する事
・ 母校や在校生へのサポート役に徹する事であります
この事を念頭に入れてその上に「何かプラスアルファー」を付けたいと思っております。このプラスアルファーですが、
1 会の運営を校内理事(母校の先生方)の皆さんに「任せっきり」にせず、我々OBも出来るだけ参画をする。
2 各科の同窓会長で構成される「会長会」の人数を増やし、OBの輪を広げ、イベントの為に集まるのではなく、集まってイベントを企画する会合としたい。
3 同窓会名簿を整理し、メンテナンスをしたい。
4 同窓会館ですが、何時の頃からは定かではありませんが「募金活動」にて、建設基金が積み立てられております。現在は一千六百万円程度となっております。しかし、現実を見ますと、母校校庭にはそのスペースが無く、更にこの金額では「会館の建設」はほぼ不可能と思われます。
これを白紙に戻すためには色々と根回しが必要ですが、ある時期には「決断」をしなければ成らないと考えております。その間、母校の一室を借用し「同窓会の談話室」を設けたいと思います。卒業生が母校を訪問しても、気持ちよく・遠慮せずに利用できる「サロン」が理想ですが、実現をしたいと思っております。
5 工友会の会報は定期的に発行する事は勿論ですが、出来ればインターネットで簡単に開ける「同窓会のホームページ」を開設したいと思っております。
色々と申し上げましたが、これ等の項目は「直ぐには実現なり実施は難しい」と承知しており時間を掛けて地道に進めてまいります。最後になりますが、会長就任のご挨拶とし、さらに皆様には時節柄くれぐれもご自愛のほどお願い申し上げます。

08.8.8
西野田工友会7月26日各科会長連絡会報告
S30.3卒/松室 猛(08.8.8投稿)西野田工友会会長

既にこのページで、5月26日の機友会の総会で西野田工友会の次期会長に機友会の前会長である関元氏を推薦することに決したことは報告いたしましたが、その後の経緯をご報告申し上げます。
7月26日に母校において、各科会長連絡会を開催しました。その席で、今年度の総会に代わる役員会の開催日を8月30日と決定しすべての提出案件が決まりました。当日の会長連絡会で次期役員の選考を議題としました結果、機友会の提案通り次期西野田工友会の会長には関元氏が決まり、8月30日の役員会で報告し最終的に新体制が決まることになりました。
工科高校への組織替えで従来のような各科別の色分けが若干薄れる傾向がありますが、それでも機友会から選出される関元新会長を総力を挙げて支援していただくようにお願いいたします。
また、30日の役員会では今後の西野田工友会の運営に関する基本的な問題点なども議論されましたが、100周年を終えたこれからの同窓会のあり方についても関元氏からいくつかの提案がなされることと思われますので、30日の役員会にはこぞってご参加くださいますようお願い申し上げます。
暑さの厳しい季節ですが、同窓生諸兄のご健勝を祈念申し上げます。


08.5.26
S30.3卒/松室 猛(08.8.8投稿)西野田工友会会長
5月24日に開催されました機友会の総会で私から提案させていただきました件についてご報告申し上げます。
皆さまのご協力により母校の100周年記念事業が滞りなく終了できましたことは前回にもお礼を兼ねご報告いたしましたが、この機会に西野田工友会の会長を退任させていただくことになりました。
この度の総会で機友会の会長を関元さんから生駒さんに引継がれましたが、西野田工友会の新人事を決めるに際し、機友会からぜひ後任を選任していただきたいと常々考えて参りました。その旨を総会で私から提案させていただき、今日まで機友会を大変精力的にまとめてこられました関元さんが最適任であると思い機友会としてご推薦いただきたいとお願いをしましたところ、満場一致でご了解をいただきました。
来るべき西野田工友会の役員会を経て七月に開催予定の全体総会に於いて関元新会長選任に向けて作業を進めてまいりますことを謹んでご報告申し上げます。
機友会から会長を選任する次期総会には、是非ともご出席賜り、関元新会長をご激励賜りますようお願い申し上げ、ご報告と致します。

08.3.5.
会計監査/布村祐三氏(昭和30年卒)掲載本紹介
「挑戦する中小企業 in OSAKA」星湖舎07.12.10発刊  定価\1,600+税
大阪の中小企業20社の経営者たちの"つぶしてたまるか-社長の失敗話・成功話-"
12ページにわたり掲載、一部紹介いたします。写真クリックで拡大。

06.1.20〜5.16

近況報告
S58.3/貴田隆光(06.5.16投稿/愛知県在住)
卒業とともに就職した自動車会社で、トラックエンジンの開発、特装車(冷凍車、消防車等)の開発に携わりながらの23年でした。昨今、体調面での問題を抱え'05.11より休職となり未だ復職の目処も立っておりません。同期の情報が知りたくて、一般の同窓会サイト『この指とまれ!』(http://www.yubitoma.or.jp/)に登録しておりますが、めぐり合えておりません。機友会でも例えばこのサイトを活用し同窓の輪をひろげていただけないでしょうか?
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機友会より
昭和58年3月機械科卒業の方現況等お知らせください。


S30.3卒/松室 猛(06.4.9投稿)職校会会長
 昭和30年機械科卒。子どもの頃から模型工作が好きで西野田を選びました。当時の学校の様子は鉄筋校舎は一棟だけで、木造のオンボロ校舎と、屋根と柱とがたがたの床があるだけの体育館ともいえない建物があったことが印象的です。在学中から機械科の授業内容に疑問を感じ普通科への転校を考えましたが一年留年しなければならず、やむなくそのまま卒業し文系の大学へ進学しました。

 西工在学中に弁論部に所属、関西大学雄弁会から指導を受けていた縁もあり関西大学法学部に入学。雄弁会に所属し、その頃から政治が自分のライフワークだと思うようになり ました。大学卒業後、家業を手伝いながら地域活動を続け、昭和50年大阪府議会議員に初当選以来7期28年間議員を務め、平成15年任期満了時点で引退。現在、大阪府選挙管理委員会委員長の役職に就いています。

 また、母校の80周年の際、大阪府議会議長として式典に出席する機会があり90周年の時点から職校会会長であった府議会の先輩である岩見豊明先生が病を得られ続投が困難となり、後継の要請があり、先輩の命令だけにやむなく承諾し職校会の会長に就任し現在に至っています。

 学校や後輩に対しては、実業高校の現状はまさに過渡期にあり工科高校への移行もその表われですが、時代の進化とともにカリキュラムの中途半端さが問題視されるようになったと思っています。創立100年を迎えた母校の今後は、時代の要請に如何にフィットするかが課題になるらざるを得ないのではないでしょうか。このままでは150周年に西工が存在するだろうかと思わずにおれないのですが・・・。



S43.3卒/今村 彰(06.2.17投稿/加古川市在住)

 卒業後、37年も過ぎ、久しぶりに母校のホームページを開いたら 機友会を発見して、今、メールを書いてます。学校から就職した 会社を一昨年、早期退職し、今は、自宅の近くで働く身になりま した。前職で36年頑張ってきましたが、時代の波に揺られ、小生 も、人生の小休止をしております。これからは、小波の中で、暮 らしていきます。
 同期の仲間とは、卒業後、会っていませんが、 近況が判れば、うれしいですが、そんな事が知りえる場があれば 教えて頂きたく思います。



高校時代の思い出と近況

S36.3卒/関元忠義 (06.1.20投稿 )西野田機友会会長
 小生は昭和36年の卒業ですから、卒業後45年に成ろうとしております。当時の機械科は3クラスで1クラス40名でしたから、何と機械科だけで120名の生徒が在籍していました。機械科実習棟は、現在は壊されて新校舎に変わりましたが 古い、本当に時代物の建物でした。この中に、旋盤やフライス盤などの機械類があり、鋳物工場、木型工場、製図室などがありましたね。特に旋盤は竹の棒でプーリーを掛けて回転を替えていました。

 クラブ活動は陸上部に入りましたが、立派な成績が残せずのんびりと過ごしたものです。オリンピックに出た沢木啓祐君が春日丘高校におり、彼は小生の一年下ですが当時からものすごく早く5,000メートルでは2周ばかり差を付けられた記憶があります。彼は今、日本陸連の幹部になりマラソンの解説者などで活躍されていますが、一緒に走った事が自慢?。
 
卒業後は、(株)日立製作所の大阪営業所に入社しました。機械を触るのが苦手で、逆に人と接する仕事に向いていると考えて、営業配属を希望しその通りに成りました。以来、定年まで殆ど大阪勤務で且つ営業から離れずでした。日立製作所を52歳で離れ、子会社「日立エンジニアリングサービス」に移り今も(63歳)少しの現役を続けております。

 目下の趣味は、ウオーキングとバイク・ツーリングです。ウオーキングは、10年程前に平成の熊野古道ウオークに参加してから病みつきに成りました。このウオークは、京都〜大阪〜和歌山〜紀伊田辺〜熊野本宮〜新宮〜伊勢神宮〜熱田神宮(ゴール)の650キロを3年間掛けて歩き通すものです。 その後、四国88ケ所の歩き遍路に出向き、GWを使いながら尺取虫方法で現在松山まで歩いています。一方では、会社のリタイヤ連中を引率して月に1回20キロ程度を歩いています。バイク・ツーリングは60歳を超えてから自動二輪免許取得に挑戦し、今は13,000キロの走行距離です。週の内、4日間の休みがありますので、しょっちゅうバイクである所までツーリングし、そこから15〜20キロ程度歩く事が多いですね。もし、会員各位でウオーキングの興味がおありでしたら「機友会歩こう会」の発足も考えたいと思います。又、お勧めコースのご案内もしますよ。

  映画も、週1回位見ております。 この間は「男達の大和」を見てきましたが、まあまあ良かったですね。それよりも、この映画のロケ・セットを見たいと思います。日立造船・因島工場にほぼ実物大の戦艦大和を作り、ロケした由です。このセットが3月末まで、現地で見学が出来るのです。大和の大きさがイメージできるので、是非見たいと思っています。
(写真は卒業アルバムより矢印が小生です。)

04.12
機友会(機械科OB会)役員交代ご挨拶
                                           
                           前副会長 石村 秀雄(昭和22卒) 

 平成8年2月に機械科卒業生という共通の立場で職種年代を越えての機械科OB会が発足して永年の懸案でありました会員相互の親睦・情報交換の場としてその運営に微力ながら務めさせていただきましたが、このたび活力ある若い世代の人々のご理解を得て新役員が誕生いたしました。その間、間名弘会長(昭和20年卒)のご指導のもとに母校を思う一念に歩きつづけてまいりました。大過なく過ごさせていただきましたのも、ひとえに会員の皆様方の心厚い母校愛のご協力のたまものと感謝申し上げる次第です。
 明治、大正、昭和、平成の4代97年に亘る西工の歩みはそのまま、近代日本の、紆余曲折の変遷の歴史を映じたものでありました。私が入学した当時の学校は職業教育のパイオニアで、産業界のプロ養成という伝統を充実させており、たくましき職工という言葉に生徒たちは、限りない誇りを持っていた時代でした。
 戦後は教育改革の実施で工場らしき学校が変革し、更に平成17年度入学生から「工科高校」という名称に変わる予定となっています。但って伝統ある大阪職校会より、同窓会名称の検討を提案されている現状であります。創立100年が近づいている昨今、改めて同窓の結びつきを強固に確かめ、母校の発展を心から念願する次第です。
 機友会会員の皆さまにおかれましては、いよいよご健康に意を用いられ今後共、国家と社会の弥栄のために、ご家庭の繁栄のためにそれぞれの道でご尽力くださることを心より念願し、ご多幸をお祈り申し上げて御挨拶にかえさせていただきます。ご指導ありがとうございました。