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投稿写真&原稿

2015エコデンレース観戦記 2015年11月23日(祝)
吹田/日本万国博覧会記念公園内・お祭り広場
エコデンレースは、毎年勤労感謝の日に万博記念公園内のお祭り広場で開催されます。ここ二年ほどご無沙汰しましたが、久しぶりに渡辺事務局長と応援。曇り空にも拘らず、ララポートのオープンと連休最終日とあって、大阪モノレール・万博記念公園駅は凄い人出でした。
今年も、遠くは新潟県や沖縄県からの強豪校が参加していました。母校からは機械研究部が「E−5(いーご)」と「Bon−Do(ぼん どぅ)」を携えてエントリーしています。現在、機械研究部は3年生1名、2年生5名、1年生3名が在籍とのこと。今回は3年生の林田君がドライバーを務めます。彼は西工に憧れ、中学時代から機械研究部員と一緒に車両の整備に汗を流し、今年やっとドライバーとして「E−5」に乗ることになったそうです。
午前中は「バッテリー部門」のレースで、バイクに搭載されるバッテリーで走行距離を競うものです。スタートから40分後にチェッカー旗が振られ、ゴール線手前で終了合図を受けたものは新たな周回に入ることはできず、同周回の場合は早くゴールした車両が上位となります。「E−5」も車列順中ほどから順調にスタート。30分頃まではそこそこのスピードで走っていましたが、終半はスピードを落としグッと我慢の走りにチェンジ。でも、見事完走しました。初めから飛ばし過ぎると途中で息切れし完走できなく、エコ過ぎると未使用エネルギーが生じることになり、その調整が難しいらしい。
全ての車がゴールするのを見定めて、雲行きが怪しくなってきたので、早々に会場を後にしました。
                              報告・写真 /43年卒 井上義雄


92歳、古式泳法の初泳ぎ参加 水温8度 高松の海岸
2013.1.4 朝日新聞/青鉛筆・掲載より転載
http://www.asahi.com/national/update/0103/OSK201301030041.html   25.1.7up
高松市の大的場(おおまとば)海岸で3日、地元に伝わる古式泳法「水任(すいにん)流」の初泳ぎがあり、ふんどしや水着姿の男女約30人が水温8度の海に飛び込んだ。
 「海辺の国にふさわしい武道の一つに」と高松藩の藩主が奨励した泳法を受け継ぐ恒例行事。太鼓やホラ貝の音色に合わせ、約50メートル沖合から陸を目指した。最年長はクレーン会社元社長の多田野弘さん(92)で、31年連続の参加。自宅の屋外プールで泳ぐのが日課だが、「ここで泳がないと正月は済まん」。
初泳ぎを終え、笑顔を見せる多田野弘さん(中央)=高松市の大的場海岸

りそな総合研究所発行 情報誌「りそなーれ」2013.1月号掲載  25.1.7up

異文化コミニュケーションのリーディングカンパニーとして
日本と世界の交流発展に貢献する

聞き手/りそな総合研究所 社長 中村重治
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株式会社インターグループ 代表取締役会長 小谷泰造氏
昭和26年3月機械科卒後早稲田大学文学部卒
米資料提供・昭和22年卒業 石村秀雄氏
 ★記事はpdf画像でご覧ください。

2012エコデンレース観戦記 2012年11月23日(祝)
吹田/日本万国博覧会記念公園内・お祭り広場
今年もエコデンレースの季節がやってきました。毎年、勤労感謝の日に大阪万博お祭り広場で開催されます。母校からは機械研究部(顧問:山田仁史教諭)が「MezzoForute by-E5」と「307-0」を、またダイハツ工業と協同製作した「BREAK THROUGH」を引き連れて参戦しています。「307-0」は今年新しく製作され、前日まで調整に汗を流された力作車です。
昨年同様、西野田機友会の役員有志で応援に行ってきましたが、生憎の天気のためバッテリー部門のレースのみの観戦となりました。スタートの合図で勢いよく飛び出したマシーンも雨には勝てず、次々にリタイアし、40分間の完走は半数にも満たない状態でした。この状況に部員一同が最後までアクシデントの対処に向かう姿は、技術屋の卵そのものであり、西工魂はまだ廃れていないとの感を強く持った次第です。来年も是非応援に参加しようではありませんか。  (井上義雄 記)
    
写真集はこちら
参加者/31土井,36渡邊,37南,43井上,54間嶋氏の5名

2011全国エコデンレース観戦記 2011年11月23日(祝)
吹田/日本万国博覧会記念公園内・お祭り広場
今年も11月23日(水)に全国自動車教育研究会主催で、日本万国博覧会記念公園「お祭り広場」において開催されました。競技には「バッテリー部門」と「充電池部門」があり、両者とも一定時間内にコースを何周回れるかを競います。動力として、バッテリー部門は(株)ジーエス・ユアサ製のYTX4L-BS(12V、3Ah/10HR)を、充電池部門はPanasonic製単3形ニッケル水素電池10本を用います。このレースに母校機械研究部(顧問:山田仁史教諭)が両部門に2台の車両でエントリーしました。車両は勿論自作です。
山田先生は8月のソーラーカーレースに続いてのエコデンレースであり、9月以降休みなしで車両の製作に頑張ってこられました。毎晩遅くまで作業しているので、定時制の先生に間違われたこともあったそうです。今回のドライバーは機械系2年の山口勇樹君(部長)と1年の末松一希君です。両名とも一生懸命のハンドル捌きで、完走してくれました。
応援には福岡校長を始め杉山教頭、機械研究部OB諸氏、西野田機友会から7名の有志が参加し、ピットの周りはいつも賑やかな状態でした。午後から小雨が降り出し、午前中のバッテリー部門の応援だけで解散しました。   報告/井上義雄
応援お礼 機械研究部 顧問:山田仁史教諭
バッテリー部門成績 充電池部門成績
先日は万博公園の大会会場に機械研究部の応援を戴き、ありがとうございました。皆様の支援を戴いたお陰で無事に大会に出場でき、事故もなく無事に帰って来る事ができました。
遅くなりましたが大会の成績結果を送らせて戴きます。
公式通知No,4はバッテリー部門です。
(ミニバイク用のバッテリーを用いて走ります。)
69位の87番「Mezzo forute by E-5」号が機械研究部の作ったクルマです。42位の78番「EXASSプロジェクト」号がダイハツ自動車との共同制作したクルマです。
公式通知No,5は充電池部門です。
(パナソニック エボルタ の単三電池を10本用いて走ります。)25位の27番「Mezzo forute by E-5」号が機械研究部の作ったクルマです。28位の26番「EXASSプロジェクト」号がダイハツ自動車との共同制作したクルマです。Laps(周回数)が10周と少ないのは左前輪がパンクして、走行不能になりました。パンクの原因はコース内に落ちていた「ホッチキスの刃(玉)」が刺さりました。
成績は大会全体の中では芳しくなかったものの、機械研究部では、「EXASSプロジェクト」号の36週は新記録です。
 今回の大会で、各部員の中にも「新しい何か」が芽生えたようで一年生は「来年は自分の作ったクルマで出場する」と今から来年に向かってのクルマ作りを始めました。
来年は今以上の成績が得られるように部員一同頑張りますので
今同様、ご支援を戴けますよう、よろしくお願いいたします。
8月のソーラーカーレースが終わった後、9月から休みなしで連日9時〜10時くまで作業を続け、私自身、11月の中頃から、いつ倒れてもおかしくない状態でした。無事にクルマが完成し、出場できてホッとしております。
今年度、「ダイハツ自動車」と提携しクルマ作りを始めましたが、工業高校らしく、企業と関係を深めることで生徒や学校の体質に少しでも良い影響が出る事を期待しております。 
           報告 山田 仁史 23.11.25

10.11.23エコデンレース観戦記
10.12.22up 井上義雄(43年卒)
2010エコデンレースの応援
11月23日(祝)勤労感謝の日に、日本万国博覧会記念公園内「お祭り広場」において開催されました。天候が気掛かりでしたが、当日は風が少々強かったものの、秋晴れのレースには絶好の日和となりました。応援には北村校長、関元西野田工友会会長を始め西野田機友会からは、南、渡辺、井上の3名が参加しました。
レースには、中部・近畿・中国・四国・九州(沖縄含)地方の高校(一部一般あり)がエントリーしていました。本校からは機械研究部(顧問・山田教諭)がバッテリー部門と充電池部門にエントリーしました。バッテリー部門は、バイク用蓄電池(GSユアサのYTX4L-BS)を使用して40分間走行して周回数を競うものです。充電池部門は、単3充電池を10本使用して、30分間走行して周回数を競います。
車体は流線型やオープンタイプと様々ですが、全て自作。スタートの合図と共に、フルスピードで走り抜けるものやトラブルでなかなか動き出すことができないもの、途中で力尽きるもの等々、見物者にとっては興味津々で実に楽しいものでありました。因みに、今年の成績はバッテリー部門が96台中55位と58位、充電池部門は30台中19位でした。
 

S25.3卒業生写真
撮影:昭和24年10月校内ソフトボール大会後、学校屋上にて/写真提供/中谷晋氏/05.11.16UP


04.12
機友会(機械科OB会)役員交代ご挨拶
               前副会長 石村 秀雄(昭和22卒) 
 平成8年2月に機械科卒業生という共通の立場で職種年代を越えての機械科OB会が発足して永年の懸案でありました会員相互の親睦・情報交換の場としてその運営に微力ながら務めさせていただきましたが、このたび活力ある若い世代の人々のご理解を得て新役員が誕生いたしました。その間、間名弘会長(昭和20年卒)のご指導のもとに母校を思う一念に歩きつづけてまいりました。大過なく過ごさせていただきましたのも、ひとえに会員の皆様方の心厚い母校愛のご協力のたまものと感謝申し上げる次第です。
 明治、大正、昭和、平成の4代97年に亘る西工の歩みはそのまま、近代日本の、紆余曲折の変遷の歴史を映じたものでありました。私が入学した当時の学校は職業教育のパイオニアで、産業界のプロ養成という伝統を充実させており、たくましき職工という言葉に生徒たちは、限りない誇りを持っていた時代でした。
 戦後は教育改革の実施で工場らしき学校が変革し、更に平成17年度入学生から「工科高校」という名称に変わる予定となっています。但って伝統ある大阪職校会より、同窓会名称の検討を提案されている現状であります。創立100年が近づいている昨今、改めて同窓の結びつきを強固に確かめ、母校の発展を心から念願する次第です。
 機友会会員の皆さまにおかれましては、いよいよご健康に意を用いられ今後共、国家と社会の弥栄のために、ご家庭の繁栄のためにそれぞれの道でご尽力くださることを心より念願し、ご多幸をお祈り申し上げて御挨拶にかえさせていただきます。ご指導ありがとうございました。