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多田野弘氏 (株)タダノ・名誉顧問
1920年高松生まれ。1948年父益雄氏とともに(株)多田野鉄工所、現在の(株)タダノを設立。1963年から1979年の16年間,同社の社長をつとめ、人本主義ともいうべき経営理念を確立して、建設用クレーンの分野で、同社を世界のトップメーカーに育て上げる。79年会長、89年取締役相談役、97年名誉相談役、08年名誉顧問に就任。
香川県体育協会会長をつとめ、現在香川県ヨット連盟会長として、県民のスポーツ意識向上に力を尽くすとともに、自らも、夏冬を問わず、水泳・ジョギング等、健康維持に務める。香川県産業教育振興会の会長や香川県教育県民会議の常任理事などの多数の要職に現在もある。
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株式会社タダノは風光明媚な屋島(香川県)の麓に位置し、志度街道沿いに素晴らしい事務所と工場がありました。今回訪問の目的は、過日多田野さまから西野田機友会に過分なる御寄付を賜りましたので、その御礼とご挨拶に伺ったものです。お会いする前におん年90歳に成られるとお聞きしており、世間の同年輩のお姿をイメージしておりました。ところが、背丈は昔の人並みですが背筋がぴんと張り、それは若々しくお元気そのものでありました。少し耳が聞こえにくいとの事でしたが、お話しはまだまだ第一線の現役バリバリでご活躍の様子が節々に出まして感動を致しました。
一番影響を受けた事は何でしょうか、とお聞きしましたところ学徒動員で北條歯車に出掛けたが、その社長(奇しくも西野田の先輩)が菜っ葉服で仕事をされており、頑張れと励ましの言葉を受けた。それから「自分でも会社を起こせるのだ」と言う自信と信念が芽生えたそうです。更に、戦争で外地に出征させられたが、アメリカの技術力には驚いた。特に重機には目を見張るものがあるが、特にその要素技術である「油圧シリンダー」に興味を覚えたとの事でした。タダノはこの油圧シリンダーの技術がスタートであり、今も世界のトップを走っていると自負されておられました。終戦後クレーン車の開発に着手されましたが、当時は輸入車が殆どで新規開発には大変なご苦労があったものと推察します。
今は長男に社長職を譲られておられますが、ほぼ毎日のように出社されて居られます。リーマンショック以降、わが国も景気後退し建設業界も御多分に漏れずでタダノのクレーンの受注が激減していますが、ご本人より社業の「持ち上げる機械の専門メーカー」としての地位は揺るがすわけには行かぬ、との強いお言葉でありました。
色々とお話しをお聞きした後、ふとアメリカの詩人であるサミエルウエルマンの詩を思い浮かべました。「青春と言うものは年齢ではない好奇心と情熱さえあればその人はいつも青春なのだ」そうです、多田野弘さまは「今もって青春を謳歌」されておられます。我々もそれに見習って青春時代を続けたいと思いつつ、讃岐路を後にしました。
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